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2011年10月 3日 (月)

批判が怖い

お医者さんの書いた本の話の続きです。

最近読んだもう一冊は、産業医であり精神科医の斉尾武郎さんが書かれた「精神科医 隠された真実(東洋経済新報社)」です。この本では産業医の立場から、担当する会社の社員が通院している精神科医の処方(薬の出し方)を評価しています。

「なぜこんな非常識がまかり通るのか」という憤りをこめたエピソードが多数語られています。内科医であれば絶対にありえない矛盾やムダだらけの処方が多すぎるとのことです。副作用を恐れて効能が発揮できないほど少量の処方を行ったり、互いに正反対の効能を持つ薬を同時に出したりといったことが多く、また考えられないほどの多剤処方(多くの種類の薬を一度にのませること)が多すぎるのだそうです。

その理由のひとつとして、他者(同業の先輩など)の目が届かないところで仕事が完結していることをあげられています。

内科医であれば、研修医時代に勤務した大学病院や大規模病院で処方の基本を習った後で開業します。内科の世界では検査や診察の確かな技法があり、処方にも標準が確立していますので、我流やでたらめは起こりにくいといいます。たとえば、足の親指が痛いという患者さんであれば、血液検査を行って尿酸値が8.0以上であれば高尿酸血症であり、痛みは痛風発作であろうと診断できます。とりあえず鎮痛剤を数日分出し、痛みが落ち着いたあと、症状に応じて尿酸の排泄を促す薬を所定の量だけ処方して経過を見るということになると思います。

ところが精神科医の場合にはもともと処方に標準が確立していないようです。人間の脳の機能や生理が十分に解明されておらず、脳の複雑な働きの不具合を診断する方法論もありません。たとえば、うつ病の原因は脳内神経伝達物質セロトニンの再吸収による枯渇だといわれており、抗うつ薬としてセロトニンのレセプタをブロックする薬が使用されます。しかし、このメカニズム自体がいまだに仮説の域を出ず、セロトニン濃度の回復とうつ病の症状の緩和が連動しないという矛盾も指摘されています。そこでDSM-Ⅳ(米国精神医学会のチェックリスト)などを用いた操作的診断という手法が用いられるわけですが、これは内科のように原因を特定しての診断ではなく、症状を観察して病名を決めるという危ういものです。現代医学というより漢方に近いと思います。「見立て」に自信が持てないので、あれもこれもとたくさんの薬を処方するのだと思います。

さらに精神科の特徴として、研修医時代の大病院で診察する患者と、開業後にやってくる患者とでは、症状が全く異なることも指摘されています。鉄格子の病室が並ぶ大学病院や郊外にある大規模な精神病院には、ちょっと気分がすぐれないという程度の患者は近寄りがたく、慢性化したうつ病患者や重い統合失調症などの入院患者の診察が中心となります。結果として、研修医時代には現代病の典型である初期症状のうつ病を診察する経験はほとんどもてず、誰からも技術を学ぶことはできないのです。ところが都心に開業した「○○こころのクリニック」などの場合には、会社帰りのサラリーマンが「うつ病ではないでしょうか?」と相談に訪れます。つまり、研修医時代にほとんど経験しなかった病気を、開業後に初めて、しかも大量に扱うことになり、我流の処方にならざるを得ません。

そんな具合ですから、自分の診断と処方に自信が持てないので、過剰なまでに批判を恐れることになります。産業医から「処方がおかしいのでは?」という照会を受けると、ムキになって「俺の処方に文句があるのか!」と逆切れする精神科医も多いそうです。医師会などでは症例の研究会などが行われるそうですが、自分の事例を開示する勇気がないために出席もままなりません。結局、誤った我流を押し通すことになるとのことです。

斉尾氏によれば、まともな処方ができる精神科医は全体の3~5割ではないかとのことです。この数字はあくまでも斉尾氏の経験則ですので、確かなものではありませんが、精神科医療の抱える大きな課題が感じ取れます。

この話も、読んでいてわが身の問題として切実な印象を受けました。

大手教育会社に勤務する場合は多少事情が異なりますが、現在の私のように独立開業しているセミナー講師の世界は、いってみれば蛸壺社会です。他の講師の講義を見て新たなスキルを学んだり、自分の講義を他の講師に見てもらって批判をいただく機会が恐ろしく少ないのです。その大きな理由としては、私は各講師の秘密主義だと考えています。セミナー講師は同業者に自分の講義を見られるのをひどく嫌います。

その最大の理由は、「ノウハウを盗まれる」と思うことです。

まったくおろかな発想だと思います。盗むほどの価値のあるノウハウを持つ講師など、数えるほどしかいないでしょうし、盗んだとしても講義のスキルなどそのまま使えるものではありません。しかも、当人が自分のノウハウだと思っているものも、実は誰かのノウハウの加工品に過ぎないことがほとんどです。そもそも、ノウハウを盗まれたからといって、自分のビジネスに影響など出ないはずです。教育のマーケットは自分の稼ぎよりもはるかに広大ですから。

一方、盗む価値のあるノウハウを持った講師の講義は、さまざまな形で公開されており、本人も隠す意志を持たないことが多いのです。隠す講師は、実は自分の講義に自信がないのでしょうね。

「だったら問題ないのでは?」と感じるかもしれませんが、そうではないのです。我々講師のスキルはスポーツ選手のそれと似ており、他人のやり方をそのまま流用することは無理なのですが、他人のやり方(スポーツでいえばフォーム)を観察し、自分の講義を改善していくことは重要なのです。また、スポーツ選手がコーチに指導を受けるように、先輩講師から手直しの指導を受けることも重要です。その機会をお互いが「隠す」ことでつぶしてしまっているのです。おろかですよね。

とはいえ、隠す方の肩を持つべき事情もあるにはあります。自分の知的所有権を主張する割には、他人の知的所有権を尊重しない人も少なくないのです。もともと講師の使用する教材などは、市販文献などの公開情報を元に作成してるものが多いので、大部分は自己の知的財産とはいいがたいのですが、その配列方法や教え方にはそれなりの工夫があります。それをこっそり拝借して平然としている不心得な講師もいます。特許をとっているわけではないですが、やはりきちんと仁義を切る(許諾を受ける)のがマナーでしょう。

いまひとつの理由は、「自信がない」ということでしょうね。

なにしろ我流でやっちゃってますので、講義や演習指導など、基本的なスキルに自信がない人も多いと思います。また、自分の専門分野の知識についても、ものの本で読んだ知識だけでは実務講座で教えるには不十分ですので、自分なりの解釈を行って伝えますが、実務経験を通じて形成されたものであればそれなりに自信は持てますが、頭の中だけで勝手に構築した知識体系にすぎないものは、他人の目には「おかしい」「納得できない」と映る恐れが大です。そのような批判を恐れて「隠す」という方向に走る人も多いと思います。このような人に限って、少しでも批判的なコメントを受けると、「何が悪いんだ!」とばかりに逆切れすることも多いように思います。

と、まあこんな感じですが、「では、お前はどうなんだ?」といわれそうですが、私は自分の講義を同業者に見せることには全く抵抗ありません。もちろん「お粗末さまですが」というエクスキューズ付きですし、「批判は承ります」がポリシーです。

できれば他の講師の講義も拝見したいのですが、その機会は少ないですね。しかし、中には非常に好意的な方もおられ、ノウハウをどんどん公開してくださいます。このような方の講義を拝見した際には、深く感謝することは当然ですが、それを無断で活用することのないよう細心の注意を払います。また、批判的なコメントなどは求められるまでは慎みます。

結局、技術の世界では、お互いがオープンになった方が、密室でいるよりお互いの成長につながるんだと思います。

オープンであること。大事ですね。

すみぶち塾Sumizuku_2

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