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2011年9月

2011年9月26日 (月)

ずれてる、ずれてない

世の中には、なんとなく「ずれてる」人っていますよね。最近はやりのKYというのとは少々異なる感じの、「う~ん、それはちょっと・・・」って感じの人です。

よくマスコミなどで、「学校の先生はずれてる」とか「裁判官はずれてる」なんて批判されることが多いようですが、セミナー講師やコンサルタントとしていろんな会社を回っていると、それぞれの会社でそれぞれに「ずれてる」感があります。とくに違和感を感じるのが、「普通、こうですよねえ」と念押しされる場面です。その方は、自社あるいはその業界の「常識」にもとづいて「普通」という言葉を使っておられるのですが、他社や異業種での経験に照らしてみると「それを普通、といわれましても・・・」と、思わず言葉を詰まらせてしまうことが多々あります。

ずいぶん前の話になりますが、大病院の勤務医である幼なじみのY君から、「医者って非常識なんだよね」という話を聞いた事があります。なんでも、毎年忘年会の会場が変わるんだけど、理由は「○○病院は出入り禁止」という宣告を店から受けるからだそうです。相当にひどい騒ぎ方をするんだとか。教師と警官と役人は飲んだら豹変するという話を聞くが、医者も同じだよと言っていました。教師や警官や公務員は、日常業務では常に世の中のお手本にならなければならないので緊張を緩めることがでず、酒を飲んで本音が出てしまうと、その落差から周囲が「あれ?」っと思うのでしょうが、お医者さんも似てるんですね。もちろん、すべての医師がそうだというわけではなく、また医師以外にもひどい飲み方をする人は多いので、自嘲・自省の意をこめた話だと受け取っておきましょう。

最近、医師の先生が書かれた本を2冊ほど読みました。

1冊は、元NHK記者でその後医師になられた野田一成さんの「医者の言い分(中経出版)」という本です。この本の中で、なぜ医師は世間とずれるのかということについて書かれています。

簡単にいうと、医学部は他の学部と完全に隔離された世界で、そこで純粋培養されていくからだという話です。そういえば、私の母校にも医学部はありましたが、医学部生と交友を持ったことがありません。校舎も別だし、はいる部活やサークルも完全に別でした。指導する教員は大学病院の先生でもあります。大学病院では少し前に話題になった「白い巨塔」の世界がそのまま再現されているのだそうです。ここでの教育課程を通じて、医師独特の世界観が形成されていき、「ずれてる」感覚が培われていくとのことでした。

さらに研修医として修行が続くわけですが、そこは大学病院であったり、大学の系列病院なわけです。そこには同じ価値観を共有した先輩医師がおり、同じ文化が連綿と息づいています。「ずれてる」感覚はさらに強化されるといいます。

ちょっと言いすぎかなとも感じますが、著者の野田さんは法学部を卒業して放送記者になり、その後医学部に学士入学されたので、世間と医師の世界を比較して客観的な批判ができる立場です。それなりに信頼できる話だろうと思います。

この話を読みながら。自分たちはどうなんだろうと不安になりました。

我々セミナー講師あるいはコンサルタントの世界は、学校を出てすぐに入れるものではないので、それなりに社会人経験を持っている人が多いと思います。かつて、一部の大手コンサルティングファームでは、大学を卒業後、留学してMBAを取得してすぐにコンサルタントになるケースもありましたが、最近では減っていると聞きます。しかしその割には、浮世離れした人が多いなあと感じます。

たとえば先輩コンサルタントでセミナー講師のT氏などは、普通に話をしていても「?」な人です。セミナーでは受講者を上から見下し、「俺の方法論は、そうやすやすとは理解できるものではない」などと嘯いています。「あんた、それをわかるように教えるのが仕事でしょうが?」と聞きたくなります。また、「俺は、先生と呼ばれたいからこの職を選んだんだ」と堂々と公言するなど、「あなた、それって人間としてどうなのよ?」と言いたくなります。

そこで思うのですが、「医者だから」とか「○○職だから」ずれているという批判は必ずしも的確ではないのではないのではないでしょうか。冒頭で紹介したY君は、きわめてまっとうな人です。酒を飲んで話しても、これからの医療のあるべき姿などを誠実に語る常識人であり、立派な医師です。「役人は・・・」という批判も同じです。私は役所関係の仕事も多いのですが、私の知っているほとんどの公務員の方々は紳士です。まあ、なかには時々とんでもない人もいますが、それはどんな世界でも同じです。

だから、ずれている人というのはもともと本人がずれた感覚の持ち主なのでしょう。環境がそれを助長する面は否定できませんが、かといってある職種を一律に「ずれている」という批判は失礼であり、無責任だと思います。また、その職種においてどのような経験をしたか、どのような心持で仕事をしてきたかによっても異なるでしょう。

医師の世界には「患者教育」という概念があるそうです。患者を教育するということですが、かなり上から目線の言葉ですね。野田氏によると、患者教育とは「強めのアドバイス」の域を出るものではないとのことです。患者によっては医師の指導に従わず、服薬もおろそかにする人も多いでしょうから、強めのアドバイスは医療行為として必要なものだと思います。しかし、それをそのまま「医師は患者より一段高い位置にいて、教え導くのだ」と考えてしまうと患者との「ずれ」が生じてしまうでしょう。あくまでも医師は患者に医療というサービスを提供する広義のサービス業でなければならないのではないでしょうか。

我々講師も同じです。受講者は、いま講義していることについては無知な状態ですが、ご自分の担当領域においては長い経験と豊富な実績を有する尊敬すべきプロなわけです。講師としては、「その領域に、是非この知識をお役立てください。」という謙虚な姿勢を忘れてはならないと思います。また、その知識を独学よりもずっと容易に学べるというサービスに対して対価(講師料)が払われているのだということを意識しなければなりません。

このように考え、このような意識で仕事をしてきた講師であれば、「ずれる」リスクは限りなく小さくなるでしょうが、そうでなければいずれは大きな「ずれ」を生じてくると思います。

職業観って大事ですね。

すみぶち塾Sumizuku

2011年9月12日 (月)

いつか使う教材

みなさん、ウィスキーはお好きですか。

私はといえば、「アルコールが入っておれば、とりあえずなんでも可」というくちですので、好きでも嫌いでもない、といったところです。昔、神戸の老舗バー、トムキャンティに出入りしていたころ、マスターの榊さんからウィスキーのうんちくをずいぶん習いました。スーパーにも売っている安酒から、とんでもない高級酒まで、一口にウィスキーといってもいろいろですね。味わいも、スコッチとバーボンではまったく異なるし、カナディアンはカナディアン独自の味わいがあります。最近では、ジャパニーズウィスキーが世界的に評価を高めているとか。

日本を代表するウィスキーブレンダーの輿水精一さん(サントリー)は、著書「ウイスキーは日本の酒である(新潮新書)」で、ジャパニーズウィスキーが世界に認められていく様子を紹介されています。

その中で、日本のウィスキーメーカーとスコットランドのそれとの大きな違いに触れておられます。スコットランドでは、狭いエリアに百を超える蔵元があり、それぞれが個性的な原酒を仕込んでいます。彼らは蔵元同士で原酒を融通しあい、独自の味わいのブレンドで酒を出荷しています。ところが、ウィスキーの歴史の浅い日本では、数少ない大手メーカーだけが生産しているため、スコットランドのような融通がききません。いきおい、1社で多彩な原酒を仕込まざるを得なくなり、おびただしい種類の原酒を保有することになるそうです。サントリーなど、モルトだけでなく、ブレンドのわき役グレーンウィスキーですら、味わいの異なる3種類(クリーン、ミディアム、へヴィー)を仕込んでいるとか。

ブレンダーとは、複数の原酒をブレンドして、特定のブランドを作りだす仕事です。有名な「響12年」などでは、20種を超える原酒がブレンドされているそうです。ですから、自社で保有する原酒の個性をすべて暗記し、その個性の活かし方を研究し、しかも工業製品ですので、安定した生産を可能にするために、各樽の残量がどの程度かということも熟知していなければならないそうです。

加えて、新製品を生み出すためのブレンドだけでなく、既存ブランドの維持・刷新のためのブレンドに割かれるエネルギーも膨大です。2006年に看板商品のオールドが思い切ったリニューアルを行った際、新生オールドの生産に膨大な原酒が回されたため、他の商品の生産に充てる予定であった原酒の多くが消費されました。そうなると、影響を受けた商品の維持のために、残った原酒をやりくりして新たなレシピを開発する必要が出てきます。まさに、在庫を熟知している輿水さんだからできるすご業なのだと思います。

ところで、12年物のウィスキーを生産するための原酒は少なくとも12年前に仕込まれます。つまり、12年以上先のマーケットの嗜好を予測しながら、どんな個性の原酒をどの程度の量仕込むかを工場にリクエストするわけです。素人目にはとんでもない大ばくちに映ります。しかも、リクエストの中には、どんな目的で使用するか現段階では未定のタイプの原酒も1~2割含むそうです。使わなかったら捨てるんでしょうか?(それとも自分たちで飲んでしまうんでしょうか?)

経営的には大きなリスクを伴うわけですが、1社であらゆる原酒を用意しなければならないジャパニーズウィスキーメーカーの宿命なのでしょう。また、それだけに臨機応変にブレンダーの意図をくんだ商品作りが可能となり、ジャパニーズウィスキー独自の個性実現に貢献しているのだと思います。

この話を聞いて、「研修教材作りに通じるものもあるかな?」と思いました。フリーのセミナー講師の場合は、教材はすべて自分の手で作成します。そのため、「いつ使うかわからないような教材」を作ることは、普通しません。しかし、一定の規模を持つ会社組織でやっている場合には、専属の開発スタッフを用意できることもあります。業務の閑散期に彼らの工数に余力ができたときなどに、この「いつ使うかわからないような教材」を作らせることがあります。

たとえば、財務分析の研修用に、既存教材として入門編、実践編の2種類を保有しているとします。通常はこの2種類で十分かもしれませんが、「辞書的に使用できるハンドブックタイプの教材があれば助かる場面もあるのでは?」という意図でそれ用の企画を練り、教材として仕込むことが考えられます。後になって、このような教材が事前学習を前提としたケーススタディ中心の財務研修で、補助教材として重宝することがあります。ちなみに私は、財務分析の教材だけでも、タイプの異なる4~5種類の教材を使い分けています。

他の分野でも同様で、「業務分析技法を整理した資料があると便利かな?」と思って作った資料があります。これが今では、業務改善研修だけでなく、リスクマネジメント研修や中堅社員研修などで重宝な教材となっています。

このように、異なるタイプの教材を組織的にそろえておき、複数の講師がそれぞれのアレンジで使いまわすことができれば、講座のバリエーションは一気に広がりますし、お客様からは柔軟なカスタマイズに応じてもらえるフレキシビリティの高い講師という評価を得られることにもなります。

講師の仕事にも、「あそび」「のりしろ」ってやつが必要なんですよね。

すみぶち塾Sumizuku

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